明治8年創業の韻松亭の歴史は、上野公園の歴史でもあります。明治政府は、欧米諸国の例にならって都市公園建設を計画し、まず徳川家の菩提寺・寛永寺に白羽の矢を立てました。それまでの寛永寺は、全山に広がる大寺院でしたが、この公園化によって奥のごく一部に縮小されて、鐘楼だけが飛び地となって今の韻松亭の隣に隣接する形になりました。
政府はこうしてできた公園を訪れる市民の為に飲食施設も必要と考え、民間人を選んでいくつか造らせました。その一つが韻松亭であったのです。
「鐘は上野か浅草か」と唱えられた鐘が「松に響く」さまを愛でた、当時の博物館館長、町田久成が名付け親です。
古来より、魚以外の動物性たんぱく質を摂る機会の少なかった日本人にとって、畑の肉と言われる大豆は栄養価も高く、さまざまに加工され、日本の食生活の歴史そのものとも言われるくらい日本人と深いつながりを持っています。加工品の中でも豆腐は最も多く食されてきました。しかしその豆腐も元は中国で作られ、はるばる海を渡って日本にやって来たと考えられています。
中国では「腐」という字は「くさる」という意味ではなく、「固まる」や「柔らかい個体」を意味します。つまり、豆腐は「豆を固めたもの」ということになるのでしょう。
ところで、夏の定番「冷奴」の「奴(やっこ)」とはどういう意味かご存知でしょうか。「奴」とは、日本料理における切り方の名称で、大き目の正立方体に切ることを「奴に切る」というような言い方をします。元々の語源は、江戸時代、大名行列の先頭で槍などを持つ役目の「槍持奴(やりもちやっこ)」の着ていた半纏に、「釘抜紋」と呼ばれる四角い大きな紋がついており、豆腐の形がその紋に似ていることから「奴豆腐」と言われるようになった、ということのようです。
当店の豆腐は滋賀のみずくぐりという100%国産の大豆を使用し、毎朝自社工房にて、職人がその日の分だけを手作りいたしております。
豊かな豆の香りとなめらかな食感を、是非ともお楽しみくださいませ。
当店は、豆菜料理を中心にお豆と季節の新鮮な食材をふんだんに使い心をこめて食膳にお届けしています。
また彩りあざやかな食材をお届けする為に素材にこだわっております。豆菜料理は豆に始まり、豆に終わるといいます。
湯波、呉汁、豆乳、おから、おから茶と余すことなく豆を楽しんで頂ける素材の研究を続けております。そのほか生麩・こんにゃくもすべて手作りでございます。
また、創業当時から人気の鳥を中心にした、「鳥コース」ではふっくらとした本来の鳥のお味を堪能していただいております。
韻松亭ではお履物をぬいで上がります。
他の料理店などでも、できればお履物を脱いで上がる際は素足のお客様は靴下をご持参いただくとよいでしょう。
白い靴下だとより良いと思います。
座席には席次と言って座る順番がございます。
一般的に年長者の方やお迎えされるお客様がお座りなる位置は床の間がある側や出入口に一番遠い場所になり上座と呼ばれます。
反対に迎える側の下座は出入口に一番近い場所になります。
昔から日本では座布団を足で踏むのは失礼にあたると言います。また、理由は幾つかあるのですが敷居や畳の縁も踏まないようにしていました。畳のへりに座らないようにするのも礼儀のひとつです。
狭いお部屋では難しい場合もありますが、してはいけない事だとわかり心掛けると良いですね。
何よりも大切なのはおもてなしを受ける際にはその時間を楽しく過ごしていただくことです。
居心地の良い、特別なひと時を韻松亭のお料理と共にお楽しみください。